L'odoriter 料理人の新しいプロダクト。田村浩二の挑戦。

シェフとして、人として。今感じていることを少しずつ綴っていければと思っています。

成長を感じる瞬間。

f:id:koji-tamura0929:20180321001601j:imageシェフになり15か月。最近自分の成長を感じます。

 

単純に料理を作るのが上手になったなと思うし、自分の考えがスタッフにちゃんと伝わるようになってきた。一年前は余裕がなく、スタッフに当たることも多かった。調理場の空気が悪く、イライラもしていた。

 

ただそれは自分の至らなさが原因で、今の自分以上のものを見せようと背伸びをしていたんだと思う。評価されたい、他のシェフに負けたくない、自分の料理の方が良い。そんな他人軸で全てを考えていた。自分で客観的に自分を評価できなければいつまでたっても満足できないし、自分の成長も感じられない。

 

一年前の自分からしたら僕は本当に成長したと思う。シェフになり良い料理を作ると同時にその料理を食べてもらうために何が出来るかを考え行動してきた。沢山の人にアドバイスももらい都度変化してきた。

 

一番大きく変わったのはSNSの使い方だろう。フランスから帰国するまでまともにSNSは使っていなかった。FBの友達も700人くらいだったと思う。今は2800人を超えた。この数字が凄いわけではないが、単純に自分の投稿が今までの四倍の人に届くと思うと、自分に興味をもってくれる人は増えたかなと。

 

そして業界での評価を頂けたのも大きかった。評価を頂けたからと言って僕は田村浩二のままだし、料理が倍美味しくなるわけじゃない。それでも多くの人に知ってもらうきっかけになり、素晴らしい出会いが増えた。可能性の枠が確実に広がっている。

 

なにより自分の成長を感じるのは、お客様の声が増えたこと。帰りに声をかけてくれる人が確実に増え、常連様も増えた。今まではシェフだと認識さえされていなかったが、ブログを見てくれてる方も、僕の商品を買ってくれている方もいる。今までやってきたことが全て繋がり、自分へ返ってきている感覚。

 

これからも自分に出来る事を地道に頑張ります!

過去に縛られない。

シェフとして一年を過ごし、沢山の人に知ってもらい賞もいくつかいただいた。

料理を作ることも上手になったと思う。人としても少しだけ成長できたかなと。

 

とても嬉しいことに自分が知らない人にも認知してもらい、ブログなども見て頂いたいる。自分のやってきたことに対する成果が出ているのを実感して更に頑張ろうとも思う。しかし、なんだかシェフ田村というイメージが勝手に出来上がっている気がしてたまに疲れてしまう。

 

それは自分が発信している内容や行動によるもので、ほぼほぼ自分のせいなのだけれど(苦笑)今までは料理の為に全ての時間を使ってきた。趣味もやめ、ひたすら勉強をした。だからこそ今があり、やりたい事がやりやすい環境にある。

 

ただ本来の自分はもっと自由で抜けていて気ままな人間だ。興味のあるないが激しいし、好き嫌いもはっきりしている。そんな自分らしさを出しにくく感じているのはある種ストレスで、早めに対処したいなと。僕だって何でもできるわけではないし、苦手なこともある。弱みを見せるのが苦手で隠してしまっていたが、そんなことももうやめよう。ありのままの自分で生きる事に意味がある。

 

隙を見せずに生きてきたけれど、生きにくいくらいなら隙を見せた方がどれだけ楽か。

 

ありのままを受け入れてくれる人たちと最高に楽しい毎日を過ごしたい。いくつもの顔を持てばいい。真面目な自分もふざけた自分も全て自分だ。

 

緩く自分らしくありのままで。

 

野球して―!

料理人ではなかったら。

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サービス業と言われるだけあり、この仕事の労働時間は長い。長いがゆえに楽しくもあり、充実できるのだろう。

 

ただふとした瞬間、違う仕事をしていたら何がしたいだろうと考える事がある。一日8時間労働だったら時間は沢山ある。やりたい事はたいていできるだろう。今まで続けてきた野球も出来るだろうし、料理を始めてからめっきりやらなくなったゲームも出来る。毎週連休なら旅行にももっと行くのかも。

 

今まで当たり前だと思ってた働き方に疑問を持ち、変えようと思った時から考え方が変わった。何をするべき、しなければいけないから、『何がしたいか』に。

 

自分には時間がないからやるべきこととやらなければいけない事をしようとずっと思ってきた。その結果、仕事に関係ないことはほぼ全てやめました。仕事が楽しくて、技術が増えるのが楽しかった若い頃は何も感じなかったけれど、歳を重ねるとやりたいこと、やりたかったことが増えてきた。

 

料理人としてではなく、一人の人間として何がしたいのか。どう生きたいのか。

 

来年以降に少しずつやりたい事を増やしていこう。

生産者の想いを『料理という言語』で伝えていく。

f:id:koji-tamura0929:20180303183904j:imageフランスから帰国し、もうすぐ二年が経とうとしている。フランス在住時に言われた一言がきっかけで僕は地方を回り始めた。

 

栃木、神奈川、千葉、埼玉、長野、宮城、愛知、京都、高知、島根、福岡、鹿児島、宮崎、沖縄。今年は福島、石川、北海道に行くことが決まっている。他には佐賀、小豆島(香川)、喜界島(鹿児島)和歌山にも行きたいと思っている。

 

日本人なのに日本の事を分かっていない。自国の文化に興味がない。自分の国が好きじゃないの?これらの言葉を外国人に言われた時、はっとすると同時に恥ずかしくなった。フランス料理をやってきて、フランス料理の歴史は勉強していたが、醤油の作り方もまともに答えられなかった。当たり前すぎて気にもかけなかったのか、自分の国に興味がなかったのか。日本に生まれ育ち30年を生きている間、僕はただ日本にいるだけだったと気が付いた。

 

日本には本当に素晴らしいものが沢山ある。食材も調味料も伝統工芸も。ただその存在が知られていないものが多く、知っていたとしても無くなってしまう危険な状態だという事実を皆知らない。日本が誇る文化や伝統が刻一刻と絶滅へと向かっていることを。

 

僕が活動している『Chefs for the Blue』は、日本の水産資源を持続可能にするために、先ずは現状を知ってもらう活動をしている。うなぎやマグロの話は有名だが、それ以外にも日本の魚は危機的状況なのを伝えるために。当たり前に生活している中で常に身近にある魚は確実に変化している。自分たちの孫の世代はマグロを食べることが出来ないかもしれない。

 

魚だけではない。肉も野菜も果物も本当に良いものを作ろうとすると手間も時間もお金もかかる。そして人手も必要だ。今若い世代には農業がどのように映っているのだろう。次の世代の担い手はどのジャンルも多くはない。人手の問題はとても深刻で、日本の資源である食材を受け継ぐ人も育てなければいけない。

 

僕が料理を生業にしているからかもしれないが、食材という日本の価値を僕は真剣に守っていきたい。父の実家が農業をやっていることも影響を与えているだろう。もう農業に携わる人たちだけの問題ではなく、日本としてどう対策を立てていくかだと思う。時代の進化と共に農業も水産業ももっと進化できるはず。そのきっかけを生産者以外の人達も考えていけないだろうか?

 

日本が世界に誇る食材を、伝統を、文化を。

 

僕が料理人として出来る事でこの素晴らしい価値を守り、そして世界に発信していきたい。今はまだ微力かもしれないが、続けていくことでしか見えない世界があると信じている。

東京マラソン。

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正直長距離走は好きではない。学生の頃から短距離派で、瞬時に結果が出るのが好きだった。そのせいか仕事でも直ぐに結果が欲しく、結果が出ない期間はとてもストレスを感じていました。しかし仕事を始めると、すぐに結果が出ないことばかりです。長く続けることでしか見えない世界がある。

 

初めてエントリーし、初めて走った東京マラソン。日々仕事をしながらなので、練習時間は仕事終わり。23時過ぎから走っていた。疲れた体で走っていると中々タイムも伸びず、継続すること自体が辛くなった。東京マラソンを走ること自体には明確な目標がなかったからかもしれない。もともと長距離が好きではないし。

 

ただ、長い距離を走る中で自分との戦いが生まれる。ただの練習だからいつ走るのをやめてもいい。誰かに怒られるわけでもなく、迷惑をかけるわけでもないのだが、『まあいいか』とあきらめる自分が嫌にはなる。

 

なんでもそうだが、諦めるのは一瞬で簡単だ。自分がやめればいい。ただ続ける事は難しく大変だが、その先の景色は続けた人にしか見えてこない。そしてその景色は一生忘れる事のない大切なものになる。

 

好きかどうかも重要だが、それと同じくらい続けることも重要で。合わないことはやめた方がいいという人もいますが、嫌なことだからこそ続けてみると分かることもあると思う。そんな事を今回の東京マラソンで感じた。

 

30キロ過ぎで両脛が攣り、残りの10キロ近くを歩くことに。途中で棄権してもよかったかもしれないが、歩くことはなんとか出来る。寒い中皆が走る中歩く事しか出来ず体は冷え、何とも言えない気持ちになりながらもとにかくゴールを目指した。自分の練習不足が原因とはいえ正直きつい。最後までかっこよく走り切りたかったけれど、現状の自分はこんなもんだと腹をくくった。

 

それでも最後まで応援してくれる人がいて、ねぎらいの言葉をかけてくれる。結果よりも最後まで走ったことを喜んでくれる。これだけでも最後まで完走した意味があった。

 

一番つらいときは、なんで走っているのかと嫌になるときもあった。走っている最中は辛い事の方が多く頭の中にある。仕事も恋愛もそうかもしれない。辛いときはその事ばかり気にしてしまい、その先の事を考えられない。ただ続けることで、その先が見えるのなら少しだけ頑張ってみようと僕は思う。

 

動き出してはいるものの結果がすぐには出ないものは、根気よく続けよう。一歩ずつ進めていく事でしか大きな何かは見ることが出来ないから。

 

とりあえずしばらくは身体を休め、また一歩ずつ進んでいきます。

福島を知る。

f:id:koji-tamura0929:20180220190205j:image2月の真冬の時期に福島へ視察に行くことに。福島は母方の実家という事もあり、特別な思い入れがある。専門学生の時に行って以来なので13、14年振りの訪問だ。前回は夏の福島だったので、冬の福島は何年振りなのだろう?僕は雪にテンションが上がるタイプではないのですが、久しぶりの銀世界はとても綺麗でした。

 

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今回は多くのシェフやバイヤーの方たちとのツアーで、福島全域を回らせていただきました。普段は少人数なので修学旅行のような不思議な感覚でしたが、色々な環境で働く人たちがそれぞれの感覚で話が出来るので、自分が普段持たない感覚の話を聞くと多くの気付きがありました。

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福島は大きく分けて三つの地域があります。

 

会津中通り浜通りです。県内でも天候や環境が違うので、同じ食材でも表情が変わります。それぞれの環境の中で適した食材を試行錯誤しながら作っている。

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福島というと、やはり原発事故の事が頭に浮かぶ人が多いと思います。7年たったいまでもその影響がないとは言えません。しかし生産者の方たちは本当に良いものを作る為に努力しています。様々な検査は勿論の事、福島を愛し自分たちに出来る事を続けているのです。

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今回福島に行くきっかけになった芦間さんはいわき出身です。今回ご一緒させていただくまで会ったことはありませんでしたが、周りの情熱的な方達からの紹介でお話させていただき、福島行きを決めました。初めて会った時の印象はありきたりですが、太陽のように笑顔の眩しい方でした。この熱量が多くの人を動かしたのだろうと感じます。

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雪の力で野菜を甘く美味しくする人がいれば、自然農法で乾燥した地域の特性を生かし旨味を濃くする人もいる。奥様の事がきっかけで農業を始め、シイタケで日本1位になった人、一晩中畑に火を焚き霜と闘いながら果物を作っている人、多くの伝統野菜を護り伝えようと尽力する人、耕作放棄地を開墾し希少な国産サフラン作りに挑戦している人。そして生産者と一緒に福島から発信し地産地消を盛り上げている料理人もいます。

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また僕と同世代の若い人が違う業界から農業に参入し、新しい発想で仕事をしています。そして皆が『誰かのためになるものを作ろう』と考えています。自分たちの作りたいものを作るのではなく、周りの意見を聞きより良いものを作るために努力をしている。新しい物作りにも積極的で、どんどん意見を聞いてくれました。

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今回僕達が福島に来たことで少しでも何かが動き出せばいいなと、そして動かしたいなと思いました。まだまだ僕の知らない可能性が福島には溢れてます。その可能性を沢山の方に知っていただきたい。行かなければ分からない熱量が福島にはありました。

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次回は5月の暖かくなる時期に伺います。喜多方のお祖母ちゃんにも会えるといいな。

 

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福島に限らず日本には僕等が気付いていないだけで、本当に多くの素晴らしいものがあります。食材や技術、伝統工芸、そして人も。

 

100年先の未来の為に、今しか出来ないことを。

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photo by Ryo ozawa

 

灰色の世界に触れる。

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生まれてこの方、常に物事に白か黒をもとめてきた。

 

中途半端なものは悪だと決めつけ、曖昧な答えなんて答えじゃない!と。そんな考えで30年近く生きていると頭に勝手な思い込みがこびりついている。こすっても落ちない油汚れのように。

 

自分の生き方を常に白にしないといけない。あの人は俺と違うから黒だ。自分の価値観だけで物事を判断する典型的な硬い頭の人間の出来上がり。料理の世界だけ見ていたら、僕はこのまま灰色の存在を認めない生き方をしていたに違いない。

 

 

僕は出会いに救われた。料理以外の人と出会う機会が増え、話をするたびに自分の料理人としての強みと弱みを再認識している。初めは弱みばかりに注目しがちだったが、最近は自分の強みを再確認し、それをどう生かしていくかを考えている。

 

場所に縛られないフリーな料理人を目指す。自分の強みを可視化して共有することで新しい仕事を作る。様々な価値観に触れ、こうじゃないといけないから、こうあってもいいんじゃないか?と思えるようになった。

 

他人の評価で一喜一憂することが多く、そのたびにストレスを感じてブレちゃだめだと思ってきたが、ブレる事が悪いのではなく、ブレた後に戻る場所を分かっていれば何も問題はなく、むしろブレた分だけ色んな見方が出来るかも!と思える。

 

こうあるべきという姿は自分で決めているだけであり、誰かに求められているわけではない。そこに砕心するくらいならもっと自由に自分らしく生きるべきだろう。

 

白よりの黒も、黒よりの白も自分なんだ。

 

何かに縛られるのではなく、灰色という幅のある可能性を自分でみとめることから始めてみよう。