L'odoriter 料理人の新しいプロダクト。田村浩二の挑戦。

シェフとして、人として。今感じていることを少しずつ綴っていければと思っています。

自己紹介19。フランスへ向けての準備と、RED35。

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フランスのワーキングホリデービザは30歳まで。29歳を迎えた事で、その期限の短さが僕の心を煽った。

 

L'ASで働くのは長くても3年と決めていたのは、ワーキングホリデービザの関係もあったからだ。

 

シェフという立場になり、辞めるという事に対しての責任も人一倍感じていた。ましてやシェフになって1年も経たないうちに辞める話をするのだから。

 

ただ、それでも自分の気持ちには嘘をつけない。同じ様にフランスへ行った兼子さんなら、きっと分かってくれるだろうと、僕は1年後にフランスへ行くために辞めたい事を伝える事にした。

 

それと同時に、第2回目が開催されるRED35へ挑戦したい事も。

 

兼子シェフは少し複雑な表情をしていた気がする。それでも僕の事を応援し、色々なアドバイスもくれた。RED35の事も承諾してくれ、兼子シェフもエントリーする事に。

 

どのレストランでもそうだが、長く働いたスタッフが辞める時には沢山のエネルギーが必要になる。今までの業務の引き継ぎや、新しく入るスタッフとの関係性の構築。

 

シェフになって想う事は、料理を考える事以上にスタッフの事を考える時間が長いという事。

それぞれに考えがあり、好き嫌いもある。自分と働く事が彼らのベースの一部になるのかと思うと、考えさせられる。

 

それがオーナーシェフなら更にウェイトは大きくなるだろう。当時の兼子シェフの気持ちは僕にはまだ分からないのかもしれない。

 

それでも僕が辞めると伝えて直ぐに、スタッフ全員にそれを伝え、営業中の掛け声をフランス語へ変えてくれたり、フランス語の本を僕にくれたりと、感謝しきれないほどのお気持ちを頂いた。

 

そこからは、フランスへ向けての準備を加速させた。仕事終わりの深夜から、毎日1時間六本木のツタヤでフランス語の勉強。休日はフランス人とのレッスンを含め最低5時間の勉強。ツタヤのスタバでは、常に同じ物を頼んでいたため顔を覚えられる程に通っていた。

 

当時その場に集まっていた料理人は皆頭角を現している。

 

RED35にエントリーするにあたり、自分の事をどの様にアピールすれば良いのかを初めて考える事となった。

 

田村浩二という料理人は何を考え、何が出来、他の料理人との差はなんなのか?

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結果から言うと僕は書類選考で落ちてしまった。

 

しかし、自分を見つめる時間を持てたことが本当に『今』に繋がっていると感じる。

 

そして同じくエントリーした兼子シェフは、決勝まで勝ち進んだ。最後は実際の調理もある。

僕は落ちてしまったが、この最終選考に助手として参加する事が出来た。

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独特な雰囲気の中、兼子シェフと過ごした時間は一生忘れないだろう。

 

料理人としてだけでなく、人として、経営者として大切な事を沢山教えてくれた兼子シェフとの時間は僕の人生を大きく変えてくれた。f:id:koji-tamura0929:20170921144636j:image

 

 

 

 

 

 

 

フランスへと旅立つ前に、もう一度あの人の元へ。

 

フランス料理の父、下村浩司シェフのお店での最後の仕事へ。