L'odoriter 料理人の新しいプロダクト。田村浩二の挑戦。

シェフとして、人として。今感じていることを少しずつ綴っていければと思っています。

自己紹介25。孤独な戦い、言葉の壁。

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初めて海外で働くレストランが世界12位。(現4位)

 

各セクションにつく担当者の仕事のレベルの高さに驚いた。外国の料理人は日本人と比べると仕事が雑な人が多い印象だったが、ここのスタッフは日本人より細かく清潔な仕事をしていた。

 

レストランミラズール。

 

着いたその日に案内された調理場は、今まで感じたことのない熱気と各国の言葉が激しく飛び交う、まさに戦場だった。

 

シェフが発するオーダーに、全員が怒号の様な返事をする。一度料理がかかると、盛り付けをするシェフの前に次々と淀みなく食材が渡され、一皿へと仕上がっていく。

 

目の前で見ているだけで圧倒されてしまう様な、そんな見えない力がこの調理場には渦巻いていた。

 

初日だからと言う理由で、軽い仕込みと見学で終わった。

 

明日からこの調理場で戦う。興奮と不安がぶつかり合うなんとも言えない気持ち。

 

寮へ案内すると言われ、車へ向かう。店から車で15分。山を登った先にスタッフの住む小さな家があった。運転してくれたスタッフは、仕事がまだ残っていると店へ引き返した。残された僕は訳も分からぬままシャワーを浴びて、長い1日を終えた。

 

 

 

8月のマントンは、多くの観光客で賑わっている。シーズン真っ只中のミラズールは、昼夜合わせて140名近いゲストが毎日の様に訪れていた。そんな中、途中から入った僕は前菜のポジションへ入れられ、18歳の若者と仕事をしていた。

 

先に働いていた彼マリアーノは、後から来た僕に仕事を奪われまいと何かにつけて喧嘩腰で話をする。後から分かる話なのだが、どうやら彼は僕の事を22歳だと思っていたそうた。(29をヴァンヌフと発音するのだが、22のヴァンドゥーと聞き間違えたらしい。僕の見た目が外国人と比べ幼いのもそれを助長していた。)

 

調理場にはフランス人がいなかった。イタリア人、スペイン人、アルゼンチン人、アメリカ人、そして日本人は僕1人。

 

1年かけて学んだフランス語は日の目を見ず、中学時代の英語を頭の片隅から引っ張り出し、必死にコミニケーションをとっていた。会話する人の出身地によっては訛りが激しく、英語を話せないスタッフもいた。20人以上いるスタッフの名前を覚えるのも一苦労。何気ない会話をする余裕もない程の忙しさ。賄いも1人でかき込む様に食べ、直ぐに準備に取り掛からないと間に合わなかった。

 

オーダーに耳が慣れず、18歳のマリアーノにはナメられ、今までの自分の仕事が否定されている様なそんな毎日だった。

 

それでも1週間が経ちシェフと話をすると、研修生ではなく社員として雇ってもらえる事になった。自分の中で結果は出せていなかったが、取り敢えずは自分の居場所を確保する事が出来たのだ。

 

次の週から賄いを作る様にと言われた。1週間皆で交代で作っていると。

 

良くある話だが、この賄いをキッカケに僕の仕事は好転する。言葉よりも何よりも、美味しいものを作る技術が僕の事を救ってくれた。

 

『世界に通用する技術を身に付けろ』

 

いつか師匠に言われた言葉の意味を、僕はこの時やっと理解した。