L'odoriter 料理人の新しいプロダクト。田村浩二の挑戦。

シェフとして、人として。今感じていることを少しずつ綴っていければと思っています。

自己紹介26。技術は言葉の壁を超える。

f:id:koji-tamura0929:20171229101727j:image

初めて作った賄は何だっただろうか?

 

レストランで働き始めてから、幾度となく賄を作ってきた。最初の頃はまずいと言われ、目の前で捨てられ、コンビニ弁当を食べられた日もあった。

 

実家にいる時は料理なんて作ったことがなかった。味噌汁さえも作った記憶はない。

それでもなぜか僕は料理人になった。母の料理のお陰だ。

 

母の料理のお陰で、美味しいものが分かる舌は育っている。

 

 

 

ミラズールで働き始めたものの、僕はいまいち馴染めずにいた。言葉の壁もある。

そんな矢先、賄を作る機会が回ってきた。30名を超えるスタッフの賄を作る。

毎日激しく忙しい調理場で、賄用に火口もなかなか使えない。自分の仕込みもある中でバタバタと働いていたが、半ば強引に場所を取り仕込みを始めた。

 

賄は皆、好きなものを作るらしいが、自国の料理を作ることが多いみたいだ。

勿論僕は和食を作った。(日本人が僕しかいなかったので、作れと皆から言われた)

死ぬほど忙しい中、僕が最初に賄いに作ったのはカツ丼だ。30人分のカツを上げるだけでも一苦労なのに、なぜカツ丼を選んだのか。(のちにシェフとしてカツ丼を作るとは思ってもいない)

 

それでも何とかやり切り、皆と一緒に賄のテラスへ。

 

料理人として初めて作った賄よりも緊張した。それでも当時よりは間違いなく旨いものが作れている。さあ食ってくれ!そんな気分だった。

 

いつものように一人で食べていると(賄を食べる時間も勿体ないくらい時間に追われていたのと、会話が続かない引け目で)何人かのスタッフが近づいてきた。

 

『これはなんだ!どうやって作るんだ!!うまいじゃないか!!!』と興奮気味に話しかけてきた。僕を顎で使っている18歳のマリアーノも寄ってきて、急にタムサンと敬語になった。不慣れな英語だが、精一杯カツ丼の作り方を教え、くだらない会話も出来た。それからは賄を作るたびに評価が上がり、仕事の仕方も聞いてくるようになった。

 

賄が僕の技術を証明してくれたのだ。そして、得体のしれない日本人から、技術のある日本人へと周りの目が変わった。仕事に対して意見をしても、ちゃんと聞いてもらえる。新しいメニューの試作を任されたり、気が付けばセクションを任されるほどに。

 

正直入って一週間は、日本に帰りたくなるほどきつかった。それでも何とか立ち直り、セクションを任され、お店に貢献することが出来たと思う。

 

僕の培ってきた技術が世界に通用した瞬間だった。(賄だけでなく、様々な場面で)

 

 

新卒の頃、毎日言われ続けた『世界に通用する技術を身につけろ』の言葉の意味を体感し、当時ガムシャラに働いて身に着けた技術と、師匠の下村シェフに改めて感謝した。

 

自信が付くと自己主張も出来るようになり、働きやすい環境作りが出来始める。

 

本当の戦いはここからかもしれない。