L'odoriter 料理人の新しいプロダクト。田村浩二の挑戦。

シェフとして、人として。今感じていることを少しずつ綴っていければと思っています。

自己紹介7。料理人、田村浩二が作られた2年間。

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いつどこでチャンスが巡ってくるかは分からない。だから常に自分を整え、備える事が大切で。

 

『Edition Koji Shimomura』で働き始めて直ぐのタイミングで、そのチャンスは巡って来た。

 

3個上の先輩が少しミスを続け、調理場を外された。そこで代わりに調理場に呼ばれたのだ。

 

自分の中で準備は出来ていた。お店がオープンするまでの期間で、下村シェフの料理は一通り把握していたつもりだ(雑誌やインターネットから得られる情報は全てインプットしていた)

 

あの料理には何が必要で、この料理は何がポイントなのか。言われるよりも先に動き、感じ、『使えるやつ』になる。

 

大した期間一緒に働いていない僕が、料理の事を把握して次に必要な物を用意する姿は、下村シェフにとっても他のスタッフにとっても予想外の事だったと思う。そのお陰で、僕はサービスの期間をすっ飛ばし調理場でのポジションを自力で掴み取った。

 

とはいえまだ2年目だった僕は大した事が出来るわけでもなく、賄いも上手く作れなかった。毎日朝から晩まで働きっぱなしで、休憩など夢のまた夢。罵声を浴びせられながらも、反骨精神と野球で培った忍耐力で、なんとか下村シェフに食らいついた。

 

オープンから2ヶ月が経つとお店は急に忙しくなった。そこからは僕が辞めるまでの2年間全ての日が満席だった。週7回の雑誌の撮影や、夜の営業が終わってからの試作。ただでさえ過酷だった毎日が、さらに輪を掛けて忙しくなる。辞める人も少なくなかった。

 

泣きながら働き、逃げたくなる時も多々あったが、なんとか続けられたのは、下村シェフの料理が本当に好きだったからだと今は思う。

 

食材を真っ直ぐ切る。丁寧に皮を剥く。ソースを綺麗に流す。

 

当たり前の事ほど厳しく強く怒られた。

 

ソースが皿の淵に少しでも跳ねれば、その料理は一から盛り直し。お皿に指紋がついているなど問題外。毎日忙しくギリギリの中でも、一切の妥協なく、情熱的な仕事をしていた下村シェフの姿は今でも鮮やかに蘇る。

 

時代は変わったが、料理にかける情熱はいつの時代も変わる事はないと思う。

 

『世界に通用する技術を身につけろ』

 

当時から常々言われた大切な言葉。言葉の壁は大した壁じゃない。技術があれば何処ででもコミニュケーションはとれる。

 

僕が初めて体感した世界は、料理人三年目にスタッフみんなで行った旅行先、フランスでした。

 

初めて触れた世界は僕の価値観を大きく変えました。