L'odoriter 料理人の新しいプロダクト。田村浩二の挑戦。

シェフとして、人として。今感じていることを少しずつ綴っていければと思っています。

自己紹介18。新しい環境と立場。

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冷たい風が頬に刺さる12月。新しくなったL'ASで僕は働いていた。

 

今まで以上に広くなった調理場では、新しく入ったスタッフが慣れない中で必死に仕事をこなしていく。クリスマスまでの数週間。この期間にどこまでお店のオペレーションが組めるかが勝負だった。

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僕自身経験したことのない、一晩で80名近いゲストを迎えること。そして初めて働くスタッフとのコミュニケーション。レストランで働くのが初めての人もいる中での作業は僕の心の余裕を少しづつ削っていった。

 

そんな中、ゲストは新しくなったお店に期待を膨らませ足を運ぶ。その期待に応えるためにどこまで出来るのか。大きくなったお店では、自分一人が頑張ったところで成果はでない。周りのスタッフと意識を共有し、チームとして最大限の結果を出す。

 

しかし、頭では分かっていてもうまく伝えられない自分がいた。

 

いざとなると、全てを自分で抱えてしまう。仕事が進まないことへのイラつきや、新しく入ったスタッフとの意識の違いは、僕の感情を黒く染めていく。

 

営業中はそれがさらに加速した。80名分の魚と肉を焼き、その付け合わせをすべて一人でこなさなければならなかった。兼子シェフは店全体のオペレーションの管理を、僕が料理全体の管理を。もっと料理のクオリティーが上がるはず、上げなければいけない。そんな葛藤の毎日。

 

この過酷な状況でどのように12月を乗り切ったのか正直覚えていない。

 

ただ一つ言えるのは、過去類を見ないほど大変だったという事。

 

それでも乗り切れたのは、L'ASというお店への期待感と、兼子シェフへのリスペクトのお陰だろう。

 

その後は少しずつ余裕が生まれ、スタッフと仕事を共有しながら日々を乗り越えられるようになった。

 

 

 

 

L'ASで働き二年が経とうという時、僕の気持ちはまたフランスへと傾く。

 

年齢は29歳を迎えようとしていた。

 

 

 

つかんとを終えて。

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昨年9月に1週間だけ現れたトンカツ屋『つかんと』

 

オーナーの『トンカツ愛』から始まったこのイベントが、まさかここまで大きく取り上げて頂けるとは思ってもなかった。

 

正直初めは乗り気ではなくて。

 

元々肉料理があまり好きではない事もありましたが、それ以上に何故通常営業をやめてまでもトンカツをやるのか?そんな気持ちの中でのスタート。

 

しかし、4回目のファイナルまで続けて分かった事は、今の自分にとって、とても貴重で意味のある経験だったと言う事。

 

やはり初めは『チンケな』プライドがあったのです。真面目に10数年間修行をして来てトンカツなんて。

 

誰でも出来る料理をなんでTirpseで。

 

シェフになったばかりという事も関係していたかもしれない。

 

同世代のシェフ達が、美しい料理を作る中で、トンカツを作ることへの劣等感。

 

それでも、その中で『自分にとっての料理とは何か?』という問いが生まれ、料理を作ることで自分は何がしたいのか、そもそも何故自分は料理の世界へ足を踏み入れたのか。

 

その答えが見つかった時、つかんとの価値に気付くことが出来た。

 

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フランス料理をやっている料理人、特にガストロノミーというジャンルで闘っているシェフ達は、自分の料理にとても拘りがあり、アーティストの様な一面が強い方がほとんどだと思う。

 

なので、自分の土俵とは違う料理に対して強い拒否反応を示す事も多い。僕もその内の1人だった。

 

それが悪い訳ではなく、価値観の問題と自分が今までやってきた事への自信の表れだと思う。

 

僕自身、東京、フランスと有名レストランで働き、実力をつけてきた自信がある。他の人が見て、美しい、カッコいいと思う料理を作りたいという想いも強かった。

 

ただ、果たしてそれが自分のやりたかった事なのか?

 

食とは、料理とは、自分の人生にとってどの様な存在で、どの様な時間なのか。

 

料理人になろうと思った1番のキッカケは、『母の料理』だ。

 

料理が好きで探究心のある母は、いつも色んな料理やお菓子を作っていた。『人に出来るものは自分にも出来る』というスタンスなので、オーブンでプリンを焼いたり、てんぐさと小豆から水羊羹を作ったりと。

 

そのDNAがあるからか、僕もかなりの凝り性だ。

 

家族で外食する事はほとんど無く、皆口を揃えて『家で食べた方が美味しい』と、食卓を囲んでいた。

 

僕も専門学校の時、就職先を探すまでフレンチなど食べた事がなく、単純に料理をやって上を目指すならフランス料理だろ!という気持ちでこの世界に入る。

 

そこからは我武者羅に働き、いつしか自分の中で料理=フランス料理、非日常のもの。という構図が出来上がっていた。

 

しかし、僕にとっての料理とは、家族団欒の時間であり、母が家族の事を考える時間であり(大切な人の事を想う時間)、何よりも『人と人とを繋ぐコミュニケーション』の1つではなかったかと。

 

どんな料理を作っていても、その事は変わらない。そんな事を再確認出来たのが、この『つかんと』だった。

 

フランス料理でもトンカツでもカレーでも、僕が作れば僕の料理なんだと。

 

大切な事は、その料理で何を伝えたいのか。

 

想いの込められた料理には特別な力があり、それは必ず伝わる。

 

たとえ一杯のカツ丼でも。

 

僕は料理で多くの人とコミュニケーションを取りたい。それは生産者であったり、ゲストであったり。レストランに来る人だけではなく、もっと多くの人に伝えたい事がある。

 

その為に色々な活動をしていきたい。

 

 

 

 

何はともあれ多くの人に来て頂き楽しんでもらえた事が1番の喜びです!!!

 

つかんとフォーエバー!!!

 

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自己紹介17。新たなる扉を開く。

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日々増え続ける予約の中、少しずつL'ASでの仕事にも慣れてきた。3ヶ月もすれば鳴り続ける電話にも免疫がつく。

 

仕事量は相変わらずだが、スタッフが増えた事もあり、段々と兼子シェフとのコミニケーションも良くなってきた。

 

働き始め1年が過ぎた頃。

 

当初L'ASで働くのは2年と決めていた。働き始める時に兼子シェフともそう話していたので、そろそろ次のステップをと思っていた矢先、兼子シェフから話を頂いた。

 

『年内に移転を考えている。まだオープンして1年半だけど、チャレンジするなら今だと思う。』

 

あまりの展開の早さに驚きがあったが、今のお店の勢いを考えれば、それは間違いのない選択だと思った。

 

『元々2年間という話だったけど、移転してお店が大きくなるし、そこでシェフとしての立場で働いてもらいたい。』

 

僕は正直迷った。フランスへ行きたい。しかし、その旨を伝えた上で、『移転』を経験したい気持ちも伝えた。

 

過去2回立ち上げは経験していた。しかし、移転はまだない。今後の為に『移転』を経験してみたい。2年間が経つまであと半年。

 

全ての想いを伝えたところ、兼子シェフは『正直断られると思った。フランスへ行きたい気持ちも分かっているし。移転してから3年働いて欲しいと言う訳ではない。ただ、移転と、シェフの役職が付くということは今後必ずプラスになると思う。もう少し一緒に働かないか?』

 

僕は頷いた。

 

フランスへ行った兼子シェフだからこそ、分かる気持ちもあったと思う。

 

今の勢いのまま『移転』をしたら、この店は何処まで行けるのか。

 

初めてシェフとして働く事への責任と緊張感は、僕をまた少し成長させてくれるだろう。

 

L'AS第2章は、倍に増えた席数とスタッフ。そして重圧から始まる。

 

 

 

 

 

移転直前のメンバー。 1番右側が僕。

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告知です。

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再来週9月17日に青山ファーマーズマーケットにて開催の『Gourmet street food vol.4』でフードカート『サスティナブルシーフード・キッチン』にてストリートフードを販売します。

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深夜のシェフの勉強会をキッカケに、サスティナブルシーフードについて学び、

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先日訪れた鹿児島県長島町で『むじょかさば | 鹿児島生まれのブランドさば』の養殖を見学させてもらい、様々な工夫をしながら、「国産の鯖を多くの人に食べてもらうにはどうしたらいいのか?」を考えながら日々努力されてる生産者の方達とお話をさせて頂きました。

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まだまだ一般的に馴染みのないサスティナブルシーフードですが、少しでも多くの人に知って頂くキッカケになれば良いなと思います。

 

当日は普段Tirpseで出しているイカのお料理と、最近つかんとでも出している#タムのカレーを組み合わせた、#タムの腹黒イカレーを皆様に届けます!

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なかなかTirpseへは来れないという方にも、少しでも僕の料理を食べて頂けたら幸いです。

 

数に限りがありますが、皆様宜しくお願い致します!

 

シェア、拡散希望です!(笑)

 

https://www.facebook.com/events/324494258008510/?ti=icl

 

食べれる香水『土佐ベルガモット』

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フランスから帰国し、一年以上が経った。

 

時の流れはとても早く、目まぐるしく過ぎる日々の中で一日一日をどう生きるのか。

 

フランスへ行き、日本の事を何も知らなかったと気付いた僕は、地方の生産者の元を訪ね、様々な食材や日本の文化である発酵調味料や日本酒など、あらゆるものに触れる機会を作ってきた。

 

そのきっかけとなった食材がある。ベルガモットだ。

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高知県土佐市。温州ミカンやユズ、文旦など様々な柑橘類が特産品となっているこの場所でベルガモットは作られている。

 

南フランスで働いていたころ、本当に多くの柑橘類に触れることができ、元々好きなこともあったが、日本では感じたことがない香りの華やぎに更に引き込まれていた。

 

その中でも特別な存在だったベルガモットを帰国してすぐに探し、たどり着いたのが『土佐ベルガモット』だ。

 

直ぐに連絡し、ベルガモットの実が生る頃に伺う約束をした。

 

そもそも何故土佐でベルガモットを作っているのか。

 

地球温暖化の影響で、平均気温が1.5℃上がると温州ミカンが取れなくなると言われている。そこで高知の未来を見据えて始まったのが、より温暖な気候でも収穫可能なベルガモットの生産を目指す『土佐ベルガモットプロジェクト』だ。

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実際に現地に行き実物を見た時、何とも言えぬ高揚感を抱いた。ハウスに広がる芳醇な香り、鈴なりになる実の付き方。初めて見たその姿は今でも鮮明に蘇る。

 

しかし、実が生るまでの道のりには五年の歳月がかかっている。ハウス内の温度調整や、鈴なりに生る実に木が耐えれるようになるまでの摘果。様々な苦労と苦悩の末に『土佐ベルガモット』は出来ていた。

 

料理でも食材でもそうだが、本当に良いものは時間と手間がかかる。そしてその分だけ心がこもっていると僕は思う。どんなに世の中が便利になろうとも、『アナログ』でしか作り出せない価値があると。

 

 TIRPSEで定番のスターターとしてお出しする『ベルガモット

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『香り』を自身のアイデンティティに掲げる僕の欠かすことの出来ない、大切なパートナー。

 

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http://www.harunoterrace.co.jp/user_data/tosa_bergamot.php

 

自己紹介16。ターニングポイント。

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作業を始めて七時間、気が遠くなるほどの仕込みも終わりが見えてくる。

 

朝から一つの仕込みだけでこれだけの時間をかけたのは初めてだった。

 

仕事は速い自信があった。ただ圧倒的に『量』が多いのだ。

 

骨董通り(現南青山)にあるレストランL'AS。

オーナーシェフは兼子大輔さん。

三田コートドールやパリのアランサンドランスで修行をされ、麻布十番のカラペティバトゥバでシェフをした後L'ASをオープンさせました。

 f:id:koji-tamura0929:20170831235753j:image(写真は2012年時のもの)

オープンしてまだ二か月だが、瞬く間に予約の取れないレストランになっていた

 

 

このお店には色々な所に話題性があり、5000円という驚きの価格でのお任せコース、二週間で変わるメニュー内容(2012年時)、引き出しから取り出すカトラリー、料理に合わせたワインペアリング。

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そして何より、意外性がありながらも美味しく楽しい料理が人々の心を惹きつけていた。

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キッチンスタッフは兼子シェフを入れて4人、サービスは2人。この人数で1日2回転、約40名のゲストと闘う。

 

仕込みがとても多く、朝から晩まで息つく暇なく働いた。初めてレストランで働いた時のような過酷さは2度と経験しないと思っていたが、考えが甘かった。この店は何かが違う。ただの人気店繁盛店ではない。目に見えない力を宿している。そんなことを感じる日々だった。

 

全ての料理を出し、ゲストを見送り、片づけが終わるのが日をまたぐ頃。そこからは次の日の仕込みを始め、終わるのが夜中になる事もしばしばあったが、僕は不思議と楽しく感じた。日々の仕事の充実による生きている実感。自分の存在意義が明確にL'ASにはあった。そして一番大きかったのは、ある程度の仕事は誰にも負けないと思っていた矢先、兼子シェフの仕事のスピードとクオリティーを目の当たりにしたこと。

 

「こんなに仕事が早く、きれいな人がいるのか」と心を折られた。

 

そして、明らかにレベルの違うその仕事力に少しでも近づこうと、更に自分を磨く。人として、料理人として尊敬できる人と毎日働けることに充実感を得ていたことで僕はやりがいと生きがいを見出していた。

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今の時代、長く働く事が良いとは言えないが、長く働かないと見えない世界がある事も事実だ。人と同じ時間しか働かないのでは、人の先には行けない。

 

そして、人生には脇目も振らず1つのことに全ての時間を注ぐ瞬間があっても良いと僕は思う。

 

ある種の狂気の中でしか生まれない何かがある事を僕は知っている。

 

 

 

 

食は時間を作る

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鹿児島県出水群長島町。

 

東京から飛行機と車を乗り継ぎ約四時間。10月に開催される『O-GILI』の為に、僕ははるばるやってきた。

 

一日しかない過密スケジュールの中、『O-GILI』の太田良冠くんがどうしても会わせたい人がいると紹介してくれたのが石元淳平さんだった。

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自然に溢れ穏やかな時間が流れるここ長島町で優しさに満ちた独自の味噌『COCOROMISO』を奥さんと四人の子供と作っている。

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淳平さんは長島町出身で、中学卒業後、飛行機のパイロットを夢見て長島町を離れるが、その夢は破れてしまい、工業高校卒業後はパイオニア液晶テレビプラズマテレビを作る技術者として働いていた。地元を離れ仕事をしていた時は、辛いことや悲しいことも多かったが、その度に故郷の味に救われたという。

 

静岡で三年を過ごし、二人目の子供が生まれたことをきっかけに淳平さんは長島町へ戻ることを決意した。

 

そして知人の紹介で地元の醸造会社に勤めることに。当時は帰ってきたばかりという事もあり仕事がなく、本望ではなかったが仕方なく働くことにしたのだとか。当時は正直全く興味はなかったそうです。

 

しかし、七年間という歳月は淳平さんの意識を変え、いつしか自分の味噌を作りたいと思うまでに味噌作りに没頭していた。

 

そして、『世の中に必要とされる、自分にしか作れない味噌を作りたい』と独立を決意。お世話になった会社を辞め、自身の会社『石元淳平醸造』を立ち上げたのだ。

 

自分のフルネームを会社名にした理由は「責任を持つこと」「自信を持つこと」そして、何よりも「自分自身を信じるために。」と淳平さんは語る。

 

美味しく身体に優しいのは勿論の事、この味噌を食べて育った子供たちが、将来都会に出て孤独や辛さと闘い疲れた時に、食べた瞬間、故郷の家族や景色、音色や色彩まで思い出せるような『時間』を作って欲しいという淳平さんの想いが『COCOROMISO』にはかけられている。

 

忙しい中で食事をすることも後回しにしてしまいがちな今の世の中で、ただお腹を満たすだけの食事ではなく『時間』を楽しみ大切にするものになって欲しい。そしてその『時間』が明日への活力になると淳平さんは信じている。

 

 しかし想いだけでは本当に良いものは作れない。ここからは試行錯誤の日々だったそうだ。美味しい味噌はいくらでもあるが、身体にも『心』にも優しい味噌はなかなかない。目指すべきはそこだと。

 

元々パイオニアの技術者だったこともあり、物事を論理的に考え、緻密に計算することが得意だった淳平さんは味噌作りにもそれを応用する。何度も実験し、データを集めては計算し改善する。科学的なアプローチをしつつも、実際に味噌を作るのは麹菌だという事から、麹菌の住みやすい環境作りを一番に考えながら作っていったそう。材料もほとんどを九州産で揃えている。

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そして独自の味噌を作るために、他の味噌屋の作り方は調べず、全てを手作業で、自分の味覚と感性を信じて突き進んだ。

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味噌の原料である麦の水分量は通常1.3~1.4%。しかし『COCOROMISO』は1.1%だそう。なぜなら麹菌が住みやすく、味噌になった時に麹の香りが活きる割合だと淳平さんは言う。しかし水分量が少ないという事は、それだけ出来上がる分量は少なく、原価もかかってしまうが、それでも優しい味わいの為には1.1%でないとダメなのだ。

 

塩分量もそう。塩分が味わいの邪魔にならぬよう、一般的な割合の12%ではなく9.5%。保存の意味合いもある塩を減らすことで保存期間は短くなってしまうがそれでも9.5%にこだわる。

 

人の都合ではなく、麹の、味噌の都合で作る。

 

「サイエンスとナチュラルの共存が発酵食品の面白さだ」と淳平さんは笑顔で語る。

 

淳平さんの子供たちはみな名前に『心』が付きます。

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子供たちの為に、多くの方の為に。

 

『COCOROMISO』の優しさで多くの人が食事の『時間』を大切に、楽しめるように。

 

人の健康を支える食の大切さを『COCOROMISO』との素敵な出逢いで改めて再確認をした。

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石元淳平醸造 

http://cocoromiso.com/about/

https://www.facebook.com/cocoromiso/