L'odoriter 料理人の新しいプロダクト。田村浩二の挑戦。

シェフとして、人として。今感じていることを少しずつ綴っていければと思っています。

自己紹介11。環境に左右されていた弱い自分とそんな自分を打ち破る強い意志。

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ひょんな事から働き始めたイタリア料理店『Biffi Teatro』コの字型のカウンターが囲むオープンキッチンの劇場型レストランだ。

 

今は珍しくなくなったが、当時はここまでオープンキッチンのお店はそう多くなかったと思う。

 

今までクローズドキッチンで働いていた僕は初めてのオープンキッチン、しかもカウンターにかなり戸惑っていた。

 

話す事自体は苦手ではなかったが、調理作業という『所作』には見られるという意識がなかった為、始めはかなり苦しんだ。

 

何よりもイタリア料理という今までと違う仕事の流れもそれに輪をかけた。

 

更に追い討ちをかけられたのは、初めて経験した『お客様がはいらない』という時間。

 

新規オープン、地下の店、シェフも有名だとはお世辞にも言えなかった。イタリア料理の店なのに、フレンチテイストのものが出てくる。全てがチグハグで、スタッフ間にも不協和音が生じ始めた。

 

やる事がない時間が増え、やる気も無くなる環境。

 

もちろん環境のせいにしてはいけないし、自分を強く持てば良いだけの話だが、まだ若かった僕はその環境に完全に侵されていた。

 

休憩時間があれば寝ているような、自堕落な毎日を過ごしていた。

 

そんな中、知り合いがフランス行きの話を僕にくれた。パリでシェフとして働かないかというものだった。(ここでのシェフは料理人という意味合いだったはずだが、僕はトップとしてのシェフと勘違いしていた)

 

フランスへは行きたいと思っていたが、余りにも急な話で。しかもまだ自分は肉も魚も焼けないし、何も出来ないと思っていた。

 

結局踏み切る勇気はなく、僕は話を断った。

 

いつでもそうだが、チャンスはいつ巡ってくるか分からない。明日かもしれないし、一年後かもしれない。そんな時に準備ができていない事でチャンスを逃してしまうし、チャンスだと気付かないまま終わってしまう事もある。

 

その話を断った次の日から、僕は今出来る全ての事をやろうと決めた。

 

デザートを担当していた事もあり、ベースになる生地(ジェノワーズやマカロン、サブレやダコワーズなど)は全て当時からお世話になっているお菓子の師匠に教わり、ひたすら作っていた。

 

他には賄い用に自腹で肉や魚を買い、おろすところから焼くところまでを全て自分なりに考えながらやり、実際にスタッフに食べてもらいながらフィードバックを貰っていた。

 

その甲斐あってスタッフが入れ替わるタイミングでストーブ前で仕事を出来るようになった。

 

キッカケは人それぞれだが、それをキッカケに出来るかどうかは自分次第。

 

迷ったら、厳しい方を選ぶ。高校時代の野球から学んだ事。

 

しかしお店は一向に忙しくなる気配がなかった。

 

 

 

 

 

 

時間が本当に沢山あった当時はコーヒーの練習もしていた。

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両親の結婚記念日には、バラのケーキを用意したりも。

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