L'odoriter 料理人の新しいプロダクト。田村浩二の挑戦。

シェフとして、人として。今感じていることを少しずつ綴っていければと思っています。

父の背中。

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田村正道。

 

僕の親父は名前の通り真っ直ぐな筋の通った人です。寡黙で多くは語らないけれど、いざという時はしっかりと叱ってくれる、そんな父。

 

親父が野球をやっていたこともあり、僕も自然と野球の道へ。それからというもの、父はコーチになり小学6年生の時には監督にもなった。家に帰ればプロ野球を見て戦術指南をし、趣味のゴルフもやめ僕の野球に時間を割いてくれました。

 

中学に上がり僕の体に変化が起きました。毎年10センチずつ身長が伸び、ひざは軋み運動どころではありませんでしたが、だましだまし野球を続け高校へと備えていた。そのとき父に『無理せずによく我慢したな。高校からまた頑張ろう』と声をかけられ、いつも見ていてくれたんだなと嬉しくなったのを今でも覚えている。

 

高校に入ってからも、休日はほぼ全て試合を見に来ていたし野球部の父母会の会長になっていた。プロを目指して野球をやっていた親父は、その夢を僕の背中に見ていたのかもしれない。高校3年になると身体も大きくなり、自身のプレーに大きな変化が生まれた。その時から少しだけプロを意識し始め、大学での野球も視野に入れ日々を過ごす。

 

高校3年の夏の大会が終わり、夏休み中に大学のセレクションを3校受けることに。

 

 

そして僕は受かる自信のあった大学を含めて全て落ちた。かすりもしなかった。この瞬間に僕の野球への情熱は消えてしまった。一般受験で大学に入る道もあったが、セレクションで引っかからなかった時点で陽の目はないと思ったのだ。

 

そこからは以前書いたように料理の道を目指すこととなる。ただ親父はもう少しだけ野球選手としたの田村浩二を見たかったと母に漏らしていたのは後から知った。

 

 

野球を辞めたからには、料理では後悔しないよう業界で1番になる!と意気込み今まで走ってきた。1番になる事がどうゆう事かはあまり重要ではなくなったが、その気持ちがあったからこそ今の自分は料理を続けられている。

 

シェフになったら自分の料理を両親に食べてもらう。僕の一番の夢だった。ただその夢は永遠にかなう事はない。フランス滞在中に父はこの世を後にしたからだ。

 

 

 

 

 

フランスに旅立つ前、母が脳卒中で倒れた。一命を取りとめ、今では元気に大好きな料理も出来ている。母が倒れた時はフランスに行くか迷ったが、両親が背中を押してくれて僕はフランスに旅立った。フランスにいる間中、母はいつかまた倒れるかもしれないと思っていたが、1年近くが経ったが母の回復は良好で心配をしなくなってきた矢先に父が倒れたと連絡が来た。

 

母が倒れたのは2月19日。

 

そして父が倒れたのは2月17日。母が倒れてから1年が経つその2日前に父はこの世を去った。

 

2月をこんなにも憎く思ったのは初めてだ。

 

フランスで仕込みをしている最中に姉からのLINEがなった。珍しいなと思いながらLINEに出ると、姉の声はひどく震えていた。そのあとの会話はあまり覚えていない。

親父が倒れたこと、そして恐らく助からないこと、帰ってこれるかどうか。

 

昼の営業を終え日本行きのチケットを取りに行き、帰国の準備をして日本へ帰るまでの時間は永遠に思えるほど長く、何ものにも言い難いものだった。親父の顔を見るまでは信じられない自分がいた。悪い冗談だろうと。寝て覚めたら親父は元気だろうと。

 

ただ、棺の中の親父の顔を見た瞬間に現実を突きつけられる。大人になってから初めての近しい人の死が父だった。それまでは人の死というものがどこか他人事のような感覚。いつか来るようで来ないだろうという感覚。来てほしくないと思っていた。

 

親父の顔を見てからは涙が止まらなかった。

 

まだシェフにもなっていない、自分の料理を食べてもらってない、孫を抱いてもらってもない。

 

まだまだこれから沢山の親孝行をするはずだった。しかしそれももう出来ない。

 

絶望の淵に立たされているようだった。

 

唯一の救いは兄弟の子供たちの笑顔だった。自分たちも年を取ったことを感じ、父の死を少しだけ受け入れられた。

 

葬儀を終え、僕は再びフランスへ。残り4か月を無駄にしないために。

 

僕にはまだ母がいる。少しでも親父の分まで親孝行をしたい。フランスでの仕事を勤め上げ、帰国してからはシェフにもなり、いくつかの賞もいただくことが出来た。母に連絡するたびに、お父さんが生きていればねと少し悲しそうにつぶやく。

 

親父にはきっと届いていると思う。そしてこれからも見守っていてくれる。

 

自分の作る料理が誰かの幸せになるように、親父に出来なかった分僕はより多くの人に、料理というコミュニケーションを通して色々な気持ちを伝えていきたい。

 

そしていつか自分に子供が出来た時には、父の話をしながらキャッチボールが出来たらなと思う。

 

来月三回忌を迎える前に親父の事をあらためて考え直すことが出来た。

 

もう一度親父に伝えたい。

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今まで本当にありがとう。

 

 

 

 

 

 

自己紹介31。パリで働く、日本人シェフのコミュニティー。

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2016年1月、帰国まで残り半年となった。残りの期間はパリで日本人シェフと働く。

 

半年地方で働いた僕はパリ初心者で、パリでの仕事にわくわくしていた。

 

フランスに来た当初はパリで働くことにあまり魅力を感じていなかったのだが、地方を経験するとパリでの働き方にとても興味がわいた。地方では日本人との繋がりがなかったこともあり、沢山の日本人とも会ってみたかった。

 

6区にあるレストランES。オーナーシェフで一つ星を取っている本城chefは、様々なレストランで働きとても料理に詳しく、僕の知らない技術をたくさん知っていた。小さなお店だったこともあり、間近でシェフの仕事を見ながらお互いの話をし、料理感を共有して試作もさせてもらった。

 

このお店では、今まで自分に足りなかったものがインプットされていく感覚があり、同時にアウトプットもさせてもらえた。お互いにAB型という事でも意気投合し、価値観が似ていたことも良かったなと思う。

 

パリで働いて思ったことは、日本人コミュニティーにいるとフランス語を使う機会が格段に減る事。仕事以外の時間にはありがとうとさよならくらい言えれば、生きていけるだろう。初めからパリにいたらフランス語は殆ど話せなかったかもしれないなと思うと、地方から仕事を始めたことは僕にとってプラスだった。

 

しかし、沢山の日本人シェフと繋がりを持てたり、同世代の料理人や他のジャンルで勉強にきている人たちとの交流は、今後とても大切になるので、どこで働こうとも常にアンテナは張っていた方がいいだろう。年に何回かはシェフ達の集まりもあり、憧れのシェフと話が出来るのもパリの良いところだと思う。

 

パリで働いていた時にとても大きな事件があったが、その話はまた別の機会に書きたいと思う。

 

 

 

 

長々と自分の事を書いてきたが、料理人としてどのような人生を歩いてきたかはざっくりと伝えられたかなと思います。僕のブログを読んでパリからメッセージをくれた人や、まだ駆け出しの料理人たちが実際に食べに来てくれて話をしたり、僕の紹介をするときにこのブログを見せてくださる人もいる様で、コツコツと書き続けたことで何かが変わった気がします。

 

職人気質な所もあり、自分で自分の事を発信することに悩んだ時期もありました。それでも続けられたのは沢山の人からの声ももちろんですが、自分から発信していく大切さを僕に教えてくれた人の支えでした。文章を書いたことがない僕に、アドバイスをくれたり添削をしてくれたり、様々な事を教えてくれました。まだまだ文章は稚拙ですが、これからも自分の考えや、誰かのためになる事を発信し続けて行こうと思います。

 

料理人はとても大変な仕事の一つだと思います。それでも料理人だからこそ出来る事も沢山ありますし、料理人で良かったなと思います。今後は料理人やレストラン業界がさらに良くなっていくために活動していきます。皆さまよろしくお願いいたしいます。

 

 

田村浩二。

 

自分を知る。

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2017年、この年の事は一生忘れないだろう。

 

大晦日に紅白歌合戦を見ながらこの文章を作っている。

 

シェフとして、自分を表現するために何をすればいいのかを必死に考え行動してきた一年間。

 

その中でシェフとは何なのか。自問自答する日々が続いた。

 

レストランという空間で12年近く働く中で、その空間にいる事が当たり前になってしまった僕は、色々な世界で活躍する方々と会うたびに、自分たちの仕事の特異性とそれに慣れてしまっている自分に違和感を覚えた。

 

これは僕が勝手にそう感じているだけかもしれない。長年続ける事でしか見えてこない世界もあるので、そんな職人さんの事を僕は尊敬しているし、そんな風になりたいとつい最近まで思っていた。

 

しかし、これからの自分の人生を考えた時に、今までのように働き続ける事が自分の幸せに繋がるのかが不安になった。

 

世の中は驚くべき速度で進化しているからだ。

 

 

今までは料理以外の事は殆どシャットアウトして、ひたすらに料理に時間を注いだ。

テレビも見る事をやめ、友達付き合いも減らし、自分に使う時間があるならすべて料理に投資してきた。

 

 

勿論その日々があったからこそ今の自分があり、今年の活動にも反映されていると思う。

 

シェフになったばかりの頃は、当たり前だが誰も僕の事を知らない。新しくお店をオープンしたわけでもなく、シェフが交代しただけでは誰の耳にも届かない。届けるにはどうしたら良いか。自分で発信するしか選択肢は無かった。

 

趣味程度にしか使ってこなかったFacebookやインスタグラムを真面目に運用し、なるべく外に出て沢山の人と交わることで、自分の存在を主張するとともに色々な情報に耳を傾けた。自分の知らない世界に触れるたびに焦り、今のままでは生き残ってはいけないと自分をアップデートしてきた。

 

自分の料理を食べてもらうためには、知ってもらわなければならない。その為には料理以外の事も学ぶ必要があり、その事の方が大切だったりする。美味しさを突き詰めるだけが料理ではない。こうして文章を作りながら自問自答を続けている。

 

答えなんてきっとない。あるのは自分が残してきた、残していく結果だけだ。

 

自分がどう生きていきたいか。どのように世の中に貢献できるのか。考えれば考えるほど僕は新しい生き方を選ばなければならないなと感じている。

 

 

今までの自分の生き方を変えるのはとても勇気がいります。

 

それでも僕は変えてみたい。自分の可能性にかけてみたい。

 

何が良いかなんて人それぞれ。

 

自分が目指す未来へ向けて。

 

やれることはすべてやる。トライアンドエラー

 

年越し前の不思議なテンションで話はまとまっていませんが、来年も突き進みます!!!

 

 

自分と向き合い自分を見つめ、自分らしく素直に。

 

 

シェフ一年目を振り返り。

f:id:koji-tamura0929:20171231211224j:image昨年6月末に日本に帰国してから本当に多くの事がありました。

シェフになってからのイベントや、賞を頂いたものも。

 

こうして見てみると、本当に色々な事を経験してきたなと思います。

 

 

帰国して直ぐのヒヤシンス(日本酒だけで二か月間営業)

 

つかんと(フランス料理店の提案する新しいとんかつ)

 

松本酒造さんとのコラボ

 

今上海で活躍している篠原さんとの中華コラボ

 

WORLD50Discoveryseries選出

 

Grisさんとの個人的なコラボ

 

SevennSamuraivol.2

 

NHKWORLDのライジングという番組に少しだけ出演

 

OAD111位

 

八女伝統本玉露イベント

 

トレイラーでの山中シェフパティシエとのコラボ

 

同世代山下シェフTTOAHISUでのコラボ

 

福岡ルイガンズでDREAMDUSKvol.2

 

趣旨の違う三回の料理教室

 

JULIAさんとの一回目のコラボ

 

NHKおはようビタミン出演

 

TRUNKHOTELでのChefs Gathering

 

ブログを開始

 

哲さんとのTETXUBARRI

 

渋谷ヒカリエでのサスティナブルシーフードイベントタムの腹黒イカレー販売

 

鹿児島県での東京大学教授鳴海先生と名山木宮兄弟、太田良冠とのイベントオーギリ0

 

自分の新しい会社のイベントDIRECTDININGTOKYO

 

下村シェフ10周年イベント

 

サスティナブルシーフードイベントのファーマーズマーケット

 

JULIAさんとの二回目のコラボ

 

福島食材を使ったバーベキュー

 

そして2018年版ゴーミヨの期待の新人シェフ賞!!!

 

数々の体験から、とても成長できた一年間でした。

 

 

ここに書いた以外にも新しく自分たちの会社を立ち上げたり、28歳から温めていた『L’aromatisane』アロマティザンを事業として開始したり。

 

地方の生産者を訪ねて色々な話もさせて頂き、来年からはもう少し具体的に活動していける事も増えると思います。

 

今年は、先ず自分の事を知ってもらう事が前提としてありました。その為にSNSを真剣に活用してみたり、知人からの勧めでブログを始めてみたりと、今までの自分ではやらなかった事にも挑戦してきました。

 

料理人なのに、シェフなのにというお言葉を頂くことも多かったですが、『料理人だからこそやるべきです』と僕は答えます。

 

時代は刻一刻と変わっています。今までの常識は通用しない時がすぐにくるでしょう。

テクノロジーの進化、仮想通貨の一般化、AIによる働き方改革。

 

考えなければならない事が沢山あるはずです。料理以外の事にもアンテナを張り、人として強くならなければ生き残ってはいけません。

 

 

それでも先ずは今年一年駆け抜けた自分を褒めてあげ、ゆっくりと休み疲れを癒してから、来年も精力的に生きていこうと思います。

 

本当に沢山の方にお世話になりました。来年も皆様よろしくお願いいたします。

 

田村浩二

 

2018年からは。

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2017年7月20日から始めたこのブログも、気が付けば半年が経とうとしています。

 

これまでは料理人としての自分を如何に知ってもらうかを基準に書いてきましたが、来年からは、より『田村浩二』というパーソナルな部分を意識して、ありのままの自分を出していきたいと思います!

 

真面目な話は真面目な、砕けた話は砕けた文章で。

 

今までの僕は、「自分はこういう人間だから」「こんな風に見られたい」「隙を見せずに、常に出来る自分でいる」というような、【作られた自分】を演じている所がありました。ただそれは自分がそうあるべきと思っていただけで、周りの人はそんなことを求めているわけではありません。

 

 

 

 

自分らしく楽しくありのままで。

 

 

 

 

 

 

仕事の合間には漫画ばかり読んでるし、部屋はそこそこ汚いし、仕事以外の事は割りと抜けている。普通の人間です(笑)

 

 

ただ、仕事に関しては誰にも負けないし、負けたくない。自分の持てる力と知識をフル活用して、人の役に立ちたい。

 

 

今まではお皿の上だけに全てを注いでいました。ひたすらに他にはない自分らしい美味しい料理を作るために。

 

しかしこれからは、生産者や地域、より多くの人の為になる事をしていきたい。自分中心のエゴではなく、世の為人の為に。

 

これから何が出来るかは分かりませんが、なんでも出来ると思っています。

 

 

料理人としてではなく、人として世の中の事にフォーカスし、新しい価値を創る。

 

未熟なただの人間なので、皆さんのお力を貸してください!

 

来年もがんばろ~

 

"ミスターチーズケーキ"の瓶で焼くチーズケーキレシピ!

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みんな大好きなチーズケーキ。僕も昔からケーキといえばチーズケーキでした!

 

chefになる前は、パティシエになりたいと思っていた位甘いものが大好きで、自分で食べたいお菓子を作っていたりもしました。シンプルなものから少し複雑なものまで何でも作りますが、やっぱり一番好きなものはチーズケーキです。

 

ガストロノミーと言われるジャンルで料理を作っていると、今まで見たことのないものや自分らしい組み合わせを作らなければならない。驚きを求められることも多く、それがガストロノミーの醍醐味にも思えます。勿論自分らしさの出せている料理を作れたり、人と違う感性の料理を作ることも大好きです。しかし、もっとシンプルで考えずとも美味しいと誰もが分かる料理を作りにくくなっているなとも感じます。これは個人的に感じているだけで、周りの人はそんな風に感じていないのかもしれませんが(苦笑)

 

そんなこんなで、極シンプルでみんなが大好きなチーズケーキのレシピを少しずつ発信していければなと思います。料理人として修業してきた知識と技術を、シンプルで分かりやすくチーズケーキで表現します!

 

今回は洋梨と柚子の柚子のチーズケーキ!

 

レシピはこちら。

 A

クリームチーズ        200g

サワークリーム        180g

ラニュー糖         120g

 

全卵               3個

生クリーム35%       100g

 

コーンスターチ         30g

 

牛乳              50g

柚子              1個分

洋梨完熟             適量

 

作り方

①ボールにAの材料を入れ常温に戻し、滑らかになるまでよく混ぜる。

 

②牛乳に一つまみの砂糖(分量外)を加え沸かし、すりおろした柚子の皮一個分を加えて香りを移す。

 

③①に生クリーム、全卵、皮をすりおろした柚子のジュースの順番に加えて良く混ぜる。

 

④③に柚子の香りを移した牛乳とコーンスターチを加え良く混ぜる。

 

⑤150mlサイズの丸形の瓶に少量の④を流し入れ、一口大にカットした洋梨を入れる。再度④を8分目まで流し入れ、

 

⑥180℃に熱したオーブンに入れ、10~20分(ご家庭のオーブンによる)加熱し、チーズケーキ上部が固まり始めたらオーブンから出し、余熱で火入れする。

 

⑦粗熱が取れたら冷蔵庫でよく冷やし、洋梨と柚子を飾って完成。

 

(写真の瓶は角型ですが、角が食べにくく洗いにくかったので丸形推奨)

 

 

 

季節に合わせて少しずつレシピを書いていければと思います!!!

 

 

人生100年時代。10年後30年後50年後を見据えた働き方改革。

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最近人生100年時代という言葉をよく聞きます。

 

いくつになっても学び直しができ、新しい事にチャレンジできる世界。と言われていますが、本当にそうでしょうか?人生が長くなればなるほど必要なお金も増えていきます。働く期間も長くなるでしょう。

 

僕は料理人として働いていますが、60歳70歳まで現役で入れるかわかりません。体を壊せばその時点で料理人として調理場に立ち続ける事は難しいでしょう。しかし僕達料理人は日々そのリスクと隣り合わせで働いています。怪我をしても、風邪をひいても休めない。休みにくい環境が当たり前だと思ってますが、一般的ではありません。

 

ではそもそも何故そのような環境になるのか?人が少ないから。では何故人が少ないのか。労働時間が長いから?給料が安いから?休みが少ないから?他にも技術の共有が出来ておらず、代わりになれる人がいないという問題もあるでしょう。またレストランという特殊な労働スタイルも拍車をかけていると思います。

 

一昔前は、レストランの数もシェフの数もここまで多くはありませんでした。おそらく他の業界でも同じことが言えるでしょう。今は全てのものが飽和状態。新しく出てきている勢いのある会社は、今までなかったサービスや、新しいテクノロジーの上に成り立つものが多いでしょう。AI化が進み、今後多くの職業が無くなると言われています。その中でもシェフという仕事は残っていくと言われていますが、果たしてそうなのでしょうか?

 

本当に力のあるシェフ以外は確実に淘汰されていくと僕は感じています。今の速度のままレストランが増えていけば、同じかそれ以上の速度でレストランは消えてくでしょう。僕はそうなる前に自分にしかできない仕事のカタチとライフスタイルを確立しようと、今を生きています。まだその理想形は見えていませんが、走りながら時代の変化に合わせながらアジャストしていければと。

 

シェフがレストラン以外の仕事を始めると、ネガティブな事をささやかれることが少なくありません。なので、色々な仕事をしていたとしても、公表してない方もいると思います。でも僕はあえて自分の活動を公表していくことで、料理人としての新しい働き方と、僕の料理以外の可能性を多くの人に見てもらいたいと思っています。

 

 

 

労働時間が長く休みも少ないからこそ、新しい働き方を、自分の目指すライフスタイルに合う仕事の作り方を考える必要あります。料理人として10数年1日の3分の2を仕事に充ててきた忍耐力と体力を、少しだけ頭を使う力に変えていくだけです。変化を恐れず、理想とする未来の為と、今後料理人を目指す若者の新しい指標になる為に。

 

これまで体制があまり変わってきていない業界だからこそ、改革出来る事があるのではないでしょうか。僕は自分と周りの仲間を信じて新たな道を切り開きます。