~美味しさをデザインする~五感にアクセスする料理の組み立て方。
以前~美味しさをデザインする~の記事を書いてから、今まで以上に自分の料理の構築の仕方や、味わいのバランスを意識するようになりました。
前回の記事はこちら。
〜美味しさをデザインする〜 五味、旨味、風味の捉え方。 - L'odoriter 料理人の新しいプロダクト。田村浩二の挑戦。
〜美味しさをデザインする〜口中調味とレトロネイザル - L'odoriter 料理人の新しいプロダクト。田村浩二の挑戦。
人が料理を意識する順番は、①視覚、場合によっては聴覚も同時②嗅覚(オルソネイザル)
ここから食べるという動作に入り、③味覚(下に触れたもの)④触覚+味覚+嗅覚(レトロネイザル)⑤触覚?(喉越し)⑥嗅覚(レトロネイザル、人は何かを飲み込んだ後に鼻から息を吐く)というのが大まかな流れである。
そしてこの①~⑥まで全てに意識を置き、料理を作ることが大切だ。
先ずは視覚。
どんなに美味しい料理でも、ビジュアルが悪いのはマイナス要素が大きすぎる。
しかし、今のインスタグラムなどに向けてビジュアルを作りすぎる事にも弊害がある。これはあまり知られていないことかもしれないが、味とビジュアルに差がありすぎると人はその誤差の大きさによって味の感じ方が変わる。これは意識の中と無意識の中の両方に存在する。
例えば、人は色が濃いものの方が味を強く感じやすい。
無色透明な液体と色のついた液体では、全く同じ味だとしても、後者の方が味があると感じる(錯覚)。
なので、風味をつけることで無色透明な液体の方の味を強くした場合、色のついた液体は頭では味が濃いだろうと認識、しかし無色透明の方が味が強かった。
この差により通常よりも味の落差を感じる=美味しくなかったという意識になる。
これは目の前に比較対象があるので分かりやすいが、比較対象ない場合、その対象は記憶の中の何かと比べられる。
ビジュアルがとても綺麗、ただそれがビジュアルの為だけに行われている場合、ビジュアルと味わいに落差が生まれる。
ビジュアルが綺麗だから美味しいという意識の中で食べたものが、想像以下の味わいだった場合、美味しくなかったと感じやすくなってしまう。
このことから、最近のインスタ映えを狙いすぎるのはあまり良くない面もあると言えるのではないだろうか。
勿論ビジュアル以上に味わいが勝れば何も問題はない。
料理でもなんでも、本質はどこにあるのか。人それぞれ考え方は違うが、意識する方向を間違えないようにしたい。
聴覚は、料理から発せられる音がシズル感を生み、それが美味しさを脳に連想させる。
そして、嗅覚(オルソネイザル)は料理から立ち上る香りを嗅ぎ、脳が瞬時に過去の記憶と結び付け、美味しかった時のことを思い出させる。
これにより、人は食べる前からその料理を美味しいものと認識する。
その逆もしかりだが。
料理は食べる前段階でも美味しさをデザインすることが出来る。
視覚、聴覚、嗅覚を駆使して如何に美味しいを連想させることが出来るかがポイントだ。
次回は実際に食べた時の美味しさのデザインの仕方の話をしたいと思う。
http://koji-tamura0929.hatenablog.com/entry/2017/10/20/003845
自己紹介23。ご縁が紡ぐストーリー。
パリからTGVで約2時間。Sa.Qua.Naのあるオンフルールまでやってきた。
港町らしい活気の中、潮風に懐かしさを感じながらレストランへ向かう。
日本にいる時に1度、フランスに来てからもう1度CV(履歴書)やモチベーションレターのやり取りをしていた。その時の返事はNO。現状スタッフが満員だという事で断られていた。しかし、諦めることも出来ず一縷の望みにかけて足を運んだのだ。
自分で手に入れられる情報は全て目を通し、シェフの考えや人柄、料理などとても心惹かれ、フランスで働くならこの店しかないと思っていた。
しかし、その夢はあっけなく終わりを告げた。食事の後に話をすることもあまりできず、やはりスタッフが満員だということであっさりと断られた。そこに介入の余地がなかったことを僕は悟った。情熱だけではどうにもならず、僕はオンフルールを後にした。
フランス行きを決めてから、ずっとSa.Qua.Naで働く事だけを考えていた僕は途方に暮れた。正直他に当てなどなく、数日間は無駄に時間を過ごすことしかできなかった。それくらいショックが大きかったのだ。
フランスでも海の近くで生活したい。その事だけを頼りにレストランを探し、その候補に挙がったのは『LA MARINE』と『Mirazur』の2つだった。ただなんの当てもなく、どうしたら良いかわからなかった僕は、日本で出会った渋谷シェフの働く『Clandestino』へ気分転換に行くことに。
1度しか会ったことのない僕の事を覚えてくれていた渋谷シェフは、食事の後に僕の話を聞いてくれた。一番働きたかったSa.Qua.Naで働けなかった事、仕事の当てがなく途方に暮れている事、働くなら海の近くが良く『LA MARINE』か『Mirazur』のふたつを候補にしている事。フランスに知り合いが少なかった僕は、藁にもすがる思いで相談した。
「Mirazurなら働いていたから紹介できるかもよ?」
渋谷シェフの言葉に耳を疑った。
「ただ、俺より長く働いていた女性がいるから、彼女に頼んだ方がいいと思う。連絡してあげるから行ってきなよ!」
昔からのお付き合いのお客様が紹介してくれたシェフが、自分の働きたいお店で働いていた。さらに、1度しか会ったことのない僕に親身になってお店と繋ごうとしてくれている。仕事が決まらず意気消沈していた僕に一条の光が見えた。
すぐさま教えてもらった女性のお店の予約を取り、次の日に伺った。
フランスで一番お世話になった『神崎千帆』さんとの出会いだ。
自己紹介22。二度目のフランス、期限一年間の戦いの始まり。
2015年7月1日、16時間の長旅を終えフランスの地に足を踏み入れた。8年前に初めて訪れた時より、空気も風のにおいも鮮明に感じられた。これから1年間をどう過ごすのか、期待と不安が混じった気持ちを忘れることはないだろう。
モスクワ経由で来た飛行機でスーツケースが来るのを待っていたが一向に来ない。
どうやら僕1人ではなく、5人の日本人がロストバゲージにあったようだ。空港に着いた瞬間のトラブル、係員に聞いても「どこにあるか分からない、着いたら知らせるから連絡先と送り先をかけ」と言われるだけで、それ以外は分からないまま。包丁や調理器具、替えの服まですべてを失い、僕はタクシーでこれから住む家へと向かった。
パリ5区にあるレストランSORA、その近くに家はある。RED35でもお世話になった吉武シェフに挨拶に行き、到着と現状を伝え、「荷物が見つかればSORAに届きますのでお願いします」と言いその日は終わった。
今となっては笑い話だが、当時は本当に笑えなかった。荷物が見つからなければ何しにフランスへ来たかも分からない。インターネットも使えない中でどうすることも出来ない気持ちの中眠りにつけたのは、長旅の疲労のお陰だろう。
次の日は朝から着替えと携帯を探しに街を散策し、あまりにも早口なフランス人の言葉についていけず心を折られたが、何とか手に入れることが出来、最低限の環境だけは整えた。1年間必死にやったフランス語でこれなら、勉強しなかったらどうなっていたのか。真面目に勉強した自分を少しだけ褒めた。
家に着くと荷物が届いたと連絡があり、やっとフランス生活が始まるんだなと少しだけ胸をなでおろし、穏やかな気持ちで眠りにつく。明日からはもう少しフランスを楽しめそうだ。
働き口はまだ決まっていない。ただ、どうしても働きたいお店はノルマンディーにある。
『Sa.Qua.Na』というレストランだ。2週間後に予約をしているこのお店で働けるかどうかが分かるまでは、他のレストランを探す気にはならなかった。
海の近くで働きたい。その想いを胸にノルマンディーまで僕は行く。
革命のファンファーレ。
3か月前に予約がスタートした瞬間に注文をした、西野亮廣さんの本。
『魔法のコンパス』を読んでから、僕は西野さんのファンになった。ちなみに『えんとつ町のプペル』も持っている。
ブログやNewsPicksの記事など、目に留まるものはすべて見ていると思う。勿論賛否両論あると思うが、本田さんの記事のように『賛否両論=オリジナリティ』だと思っているので、僕は西野さんの一挙手一投足を気にしている。
そんな西野さんの本を読んで、過去の常識に捕らわれずにこれからの生き方を模索する。そんなエネルギーをもらった。西野さんが出版業界を変えた様に、レストラン業界に一石を投じることは出来ないだろうか。僕がこの業界に入ってから10数年、変わらぬ事の方が多いこの業界を。
時代の流れは確実に来ていると思う。
『他人と競った時点で負け、自分だけの競技を創れ。』
フレンチやイタリアン、日本料理や鮨といったカテゴリーに捕らわれず、自分自身にしか出来ない料理を作る。唯一無二になる事で、自分のフィールドを創り上げることが出来る。そして料理ではない自分だけの武器を持つことで、そのフィールドの価値を更に高めることが出来る。
『お金を稼ぐな。信用を稼げ。「信用持ち」は現代の錬金術師だ。』
料理人とは職人なので、突き詰めてどこまでも美味しいものを作ろうとする生き物だ。
勿論ビジネス的な観点で原価も気にしないといけない場合も多いと思う。ただ、もし何も気にせずに美味しいものだけ作れる環境にあるとしたら、そんなに素晴らしいことはないと思う。料理人はとことん食材と向き合うことが出来、お客様はそれを心置きなく楽しむことが出来る。料理人は美味しさで信用を稼ぐことが出来るのだ。ではその環境をどう創るか、だ。
『意思決定の舵は「脳」ではなく、「環境」が握っている。』
レストランの収益だけで生計を立てている場合、お金(原価)に縛られてしまう環境に陥りやすい。お金(原価)に縛られないためには、レストラン以外での収益を確保し、レストランはお金ではなく、信用を稼ぐ場にすればいい。その為にどうするかは、自分自身に問いかけ、見つけだす必要がある。環境を創り出すために何が出来るか。
『過去の常識にしがみつくな。その船は、もう沈む。逃げろ』
10年前の料理人は自分の店を持つことがある種のゴールだった。それだけである程度の算段が付いたのかもしれない。しかし今は本当に多くの店がひしめき合っている。オーナーシェフになる事が全てではなく、どのように今の時代を生きていくかを良く考えなければならない。僕自身も描いていたオーナーシェフになるという目標。ただなるだけではなく、その後のビジョンまで明確に描く必要がある。
『自分の作品と、社会を一体化させろ。』
自分のこだわりの料理も大切だが、それを社会と一体化させることが出来ればそれは新たな価値となる。まだその形ははっきりとは見えないが、ただ料理を作るのではなく、ストーリーや大義をもって仕事をするだけで、他にはない価値を生みだせるのではないだろうか。
『努力量が足りていない努力は努力ではない。誤った努力もまた努力ではない。』
これはもう言葉の通りだろう。結果を生むのは努力であり、生まないものは努力とは言わない。修業時代はプロセスも評価してもらえるかもしれないが、シェフとして矢面に立てば、求められるものは常に結果だ。結果を出すために日々努力を積み重ねる。当たり前だからこそ継続するのはとても難しい。
『売れない作品は存在しない。君の作品が売れないのは、君が「売っていない」だけだ。』
良いものを作れば売れる時代は終わった。それは料理も同じだろう。この飽和状態の時代には、「選んでもらうための戦略」が必要だ。同じようなクオリティーのモノがあればどちらを選ぶかは、PR次第であり、誰が作ったかの信用に起因する。
どんなに良いものを作っても誰も知らなければ意味がない。知らせる、伝える努力をもっとしていかなければならない。特にこの部分は料理人が」苦手にしている人が多いと思う。その分やれば世界は一気に広がる。
『踏み出す勇気は要らない。必要なのは「情報」だ。』
行動することに、勇気は必要ない。
一歩踏み出すために必要なのは、ポジティブシンキングではなく、ロジカルシンキングだ。
情報は、行動する人間に集まり、さらなる行動を生み、また情報が集まってくる。
行動しよう。
失敗したら、取り返せばいい。
大丈夫。
革命のファンファーレを僕も鳴らそう。
ワーキングホリデービザの準備。
ワーキングホリデービザで海外へ行く。料理人以外の方でもこのビザを使う人は多いと思う。フランスやオーストラリア、デンマーク、韓国や台湾も対象国で、今年から加わったスペインも話題になっていた。
そもそもワーキングホリデービザとは何なのか?
「各々の国・地域が、相手国・地域の青少年に対して自国・地域や文化や一般的な生活様式を理解する機会を提供するため、自国・地域において一定期間の休暇を過ごす活動とその間の滞在費を補うための就労を相互に認める制度」だ。
僕の周りでフランスに行った方は、料理人、ソムリエ、フラワーアーティスト、画家、デザイナーなどの方たちで、職種は違えどフランスで何かを感じる為にきている方ばかりだった。
旅行ではなく、ある程度の期間を海外で過ごす経験は、新しい価値観が生まれるとともに、自分の生まれた国に対する考え方も大きく変わる機会だなと思います。しかし、日本国民のパスポート保有率は約23%で世界的に見て低い部類です。海外で生活した身としては、もっと多くの人に海外での生活を経験してもらいたい。特に若い世代に。
そして、日本人全体に言える事ですが、もっと日本の事を知ってもらい、日本の良さに気付き、もっと世界に発信していけるような環境に。
日本に帰国してから、沢山の生産者の方達と会い話を聞いた。実際に現地に行くことで生の声を聴き、現状を知ることで料理に活かされるものもあれば、それをきっかけに何かアクションを起こすことも出来る。海外に行かなければ日本の事をもっと知ろうとは思わな方かもしれない。
話は少しそれてしまったが、フランスのワーキングホリデービザを取るにはいくつかクリアしないといけないものがある。僕は先輩の話を聞きながら準備をしたが、一番お世話になったのはこのブログぼん・ぼわいやじゅーる • 仏ワーホリビザ申請に必要な12の書類だ。必要なことが網羅してあり、とても分かりやすかった。
スマートフォンも困ることが多いと思うが、simフリーならfreeがお勧めだ。フランスの携帯電話freeのsimカードを購入する方法|フランス留学ブログ(アフィニティ・フランス)簡単に購入できるのと、価格が安い。言葉が出来なくても端末操作だけで購入できるのも良かった。
ただ、僕がフランスから帰国して一年以上が経っているので、いろいろと変化しているかもしれないが。
一年間フランス語を勉強してから行ったが、初めはフランス人の会話の速さに付いていけず苦労した。インターネットが使える環境になるまでは何かと大変なので、少しでも多くの情報を準備したほうがいいと思う。
僕の周りにも、多くのフランス経験者がいるので、何か気になる事があればなんでも連絡してください。
自己紹介21。師と弟子、父と子、料理人として10年を過ごし、いざフランスへ。
10年という歳月は人を成長させる。どんなことでもそうだろう。
ただ、その10年をどう過ごすかは、その人次第だ。
僕は東京で料理人として10年を過ごし、多くのモノを見ることが出来た。
とりわけ師と仰ぐ下村シェフとの出会いは、僕の人生を語る上で欠かせない。
人生で師と呼べる人がいる事は、とても貴重で尊い事だと思う。
僕には師が3人いる。高校時代の野球部の監督でもあった井出宏さん。先生に出会わなければ、僕は努力というものを知らなかったかもしれない。野球部の理念『為せば成る』この言葉を体現できた高校3年間は僕に成功体験と自信をくれた。
もう1人は、田村正道。自分の理想の男性であり、器の大きい偉大な父だ。野球を教わり、人として、男として、大切なことは全て父の背中から学んだ。昨年この世を去ってしまったが、きっといつも見守ってくれていると思う。父のような大きな男になるのが僕の人生の目標だ。
そして料理界の父、下村シェフだ。以前にも書いたが、新卒当時は本当につらく厳しい日々だった。それでもこうして10年間料理人として続けていられるのは、下村シェフと働いたからだろう。今再び一緒に働いていることに、何か特別なご縁を感じている。
下村シェフと再び働いた3ヶ月の期間の中で多くのイベントがあった。フラワーアーティストのニコライバーグマン氏とのコラボ、名古屋『グランターブルキタムラ』でのイベント。
そして、『東京先端ダイニング』の撮影だ。この番組の中の『次世代に伝える事』という場面に僕も出演させていただいている。新卒当時から撮影部隊だった僕は、このテレビの撮影がある種、下村シェフとの集大成だと思えた。
初めの3年間よりも学びが多くあり、濃い時間だった。それは10年が経ち、僕が少し大人になったことで、見える世界が広がったからかもしれない。
若い時は、自分の事で精一杯になり、どうしても視野が狭くなってしまう。ただその時の悩みなんてものは、10年も経てば良い思い出であり、笑い話だ。その事を、今頑張っている若者たちに伝えたい。今は理解出来ないだろう。それでも伝えてくれる人がいるだけで人生は大きく変わるはずだ。
自分の価値観を押し付けるのではなく、人生には沢山の選択肢があり、価値観があることを伝えることが、これから僕のしていくことだと思っている。
無事にビザを取得することが出来、準備も着々と進んだ。
8年住んだ家に別れを告げ、2015年6月30日フランスへ。
フランスへ行く事で、何かが変わるわけではない。そんな魔法は存在しない。
ただ、行かなければ分からない、感じられない『何か』は沢山ある。
その『何か』を探しに僕は日本を離れ、フランスへと旅に出る。
32歳、今後何を見据え、どう生きるか。
フランスから帰国し二度目の誕生日。
昨年9月からシェフになり、自分の料理を作り出してから一年が経った。
去年の誕生日は、初めて作る自分の料理への不安でバタバタしていた事しか覚えていない。それでも1年間料理を作り続けて見えてきたものは、自分が思っていた以上に大きいと思う。
それ以上に変わったのは、自分を取り巻く環境だ。
昨年末のWORLD50のDiscoveryseriesで選ばれたことや、今年1月のOADで111位に選出されたこと、4月には33以下の料理人のコンペ SevenSamuraivol.2で3位に、5月には福岡ルイガンズで行われたDREAMDUSKvol.2に呼んでいただけたこと。
少しづつ田村浩二が世の中に認識されてきたのを実感するとともに、今まで以上に自分に対する目が厳しくなるのを感じている。
シェフになったばかりの頃は、無人島で大声を出し『僕はここにいる』と叫んでいるようだった。
TIRPSEのシェフが変わったことなどごく一部の人しか知らなかったのだから。
しかし、そこからSNSを真面目に使いだし、最近ではブログも始めた。
フランスから帰国して直ぐは、Facebookの友達が700人しかいなかったが、今は3倍の2200人まで増えた。単純に自分が発信することが3倍の人に届くのは凄いことだ。自分がお店にいながら、多くの人に自分の考えや価値観を伝えられる。
『料理を美味しく作るのは当たり前』
この前提をクリア出来てる人は一体何人いるのか?海外で食べた料理のコピーや、有名シェフの盛り付けを真似しただけの料理。SNSが盛り上がるのと同時に、料理の本質が見えにくく、伝わりにくくなっているとも感じる。
良いものを作れば誰かが見つけてくれる時代は終わった。様々な物が飽和状態の今の世の中では、『伝え方』を考えなければ生き残ってはいけない。
料理の本質はそのままに、伝え方を変えていく。より総合力が求められる時代だと思っている。
レストランの中だけで生きていくのは、今の僕にはつまらない。もっと広い世界で、料理をコミュニケーションツールにし、様々なジャンルの人と交わる事で生まれる大きなエネルギーを、日本から世界へ。
日々一歩一歩、一つ一つ積み重ねる事でしか辿り着けない新しいステージを目指し、精進していきます。
これだけ自由に行動出来るのも、Tirpseオーナーの大橋さんのお陰です。
僕が行動する事で、少しでもTirpseに貢献できるように。
32歳の田村浩二も宜しくお願い致します!